V73-Marshall,KH2-Guam
**1997年8月**
<<<V73(マーシャル)、KH2(グアム)>>>

 
JARL京都クラブ創立50周年記念
<<< V73DXペディション >>>

            JH3TXR/山本祥三
【はじめに】
 今まで何度かDXペディション(DXバケーションと呼んでいますが…)を行っていますが、今回は、京都クラブ
創立50周年記念行事という位置づけで実施しました。

【起案】
 昨年(1996年)の中頃、今年の50周年記念イベントを考えている時、"久々にDXバケーションやろか!"
ということになりました。(しばらく中断していたもので…)あっさりと決まり、この行事の担当は、
JF3PLF/杉浦さんとなりました。会報を通じ、行き先などのアンケートを行いました。記念行事であるから、
家族連れで気楽に(安価に)参加できるように近場の方がいい、やっぱりペディらしくちょっと珍しい
とこがいい、と大きく2つに意見が分かれました。それらを踏まえ、96年10月頃のミーテングで、
担当のJF3PLFさんの提案で候補地をT32とKHφに絞り、調査を開始しました。
 97年1月、恒例のYAQ新年会の席上で、候補地をT32に決定しました。当初、家族も含め、15人ほどの
立候補があり、5W依頼の大がかりなものになるか!と予想されました。そこで、旅行会社に
渡航ルート・日程の調査依頼し始めました。
 97年2月、参加者ミーティング開催しました。調査の結果、T32への定期便が欠航中であることが判明し、急遽、
候補地をV7またはV6に変更し、再度、渡航方法・免許関係を調査することになりました。
 参加者の連絡用にと、JA3YAQのメーリングリストを開設したのもこの頃です。

【準備期間】
 結局、無線の免許をもらいやすく、ちょっとレアなカントリーということで、行き先をV7に絞りました。家族同伴で
ということも検討しましたが、現地は何もない(家族が遊ぶような所がない)とのことで家族連れの案については
各家庭の家族会議でみなさん却下されたようです。
 別の案として、家族で出発し、トランジットで立ち寄るグアムで嫁と子供を置いていき、おとうさんだけV7に行き、
また帰りに合流するという強行案もありました。しかし、"だれが、グアムで家族の面倒をみるねん!!"と言う
一番大きな課題が解決できず、これもまた却下となりました。
 具体的に免許の調査を開始しましたが、V7は日本に免許を郵送してくれないようでした。(行って、直接
もらわなくてはならない。)行ってみて、免許担当者がいない等のトラブルでもあっては大変ですので、以前、
行かれた事のある方に連絡を取り、免許の事などの相談にのっていただきました。話を聞いていると、
免許の発給は簡単にしているようですが、担当者が不在がちということで、なかなか手にできないとのこと
でした。そこで、時間もあまり無いので確実な方法として現地の方を紹介してもらい、免許申請の手伝いを
お願いしたところ、快く引き受けていただけました。
 日程を決定し、飛行機を予約しはじめます。仕事との日程があわなかったりして、1997年4月、最終的に
参加者は4人(JA3AJ,JA3ART,JH3QNH,JH3TXR)となり、免許申請を行うことになりました。申請には、
各自希望するコールサインをいくつか書いて出しました。さらに、V73にクラブ局という制度があるかどうか
わからなかったのですが、ダメもとでクラブ局の申請をしてみました。(50周年記念ということで。
サフィックスが3文字でもいいのかわりませんでしたが、YAQを希望しました。)
 97年5月下旬、コールサインが決まったと現地の方よりFAXが来ました。ご存じのとおり、V73YAQ(Club Station)、
V73MM(JA3AJ)、V73AR(JA3ART)、V73NH(JH3QNH)、V73TX(JH3TXR)です。JA3AJさんは、V73AJを
希望していましたが、第2希望のV73MMとなりました。他は、第1希望どおりです。
 97年6月、"関西ハムフェア"の京都クラブブースで詳細のPRをしました。(初めての外部への公式発表)
同時に、ホテルの具体的な検討も開始していました。昨年、K8AQMが行った場所と他の方が行った場所の
2つのホテルに絞りました。いずれも、無線はOKをもらいましたが、結局、"royal garden hotel"になりました。
連絡は、FAXでのやりとりで事は足りています。
 また、いつもの通り、"気合い"を入れるため、Tシャツを作成しました。YAQ専属デザイナーのJF3PLF先生の
作品です。
 さらに、具体的な運用規模の検討を開始したのもこの頃です。50MHzを持っていくか、リグを何台にするか、
アンテナはビームはいるか、衛星をするか…など、人数、荷物の量、コンディションの予想で検討、決定しました。
 97年6月下旬、以前に行かれた方と電話でお話することができました。V73では、1年位前から、プリンタの
故障で免許書は発行されていないとのこと。昨年のK8AQMらのグループの運用も同様のようです。"申請時に
支払った免許料の受け取りをFAXしてらったら?"とアドバイスを受けました。さらに、この方とアイボール(JA3AJ,JA3ART,JH3TXR)をし、V73に行かれたアルバムを見せてもらい、現地の情報も聞く事ができ非常に
参考になりました。
 ちょうどその頃、JA3ARTさんは、WARCバンドでKH2JU/ dannyとできたようです。今度、KH2に行くという
ことからとアイボールの約束をしました。(ついでに、あれば安いリニアを買って持ってきてくれという話にもなった
ようですけど)
 広報担当のJA3ARTさんが、雑誌等に計画を発表しました。すると、途中の島によってQRVしてくれ、
衛星やってくれ、免許はどうやってもらえるのか等、JA3ARTさんが質問責めにあったようです。その他、
インターネット経由でヨーロッパからスケジュールQSOの依頼もありました。
 荷物の内容の検討をしてましたが、ラッキーなことにこの路線は重量制限なし(個数制限)のようでした。
アンテナや設備の調整と確認、荷物のチェック、などでたびたびアイボールしてました。JA3ARTさん宅で、
WARCアンテナをおろしチケットが配られ、JH3QNH宅にすべての荷物を収集し、準備完了しました。

【8/5(火)出発】
 早朝からJA3OINにJH3QNH宅から荷物とJH3QNHファミリー(QNH+2nd(旅行中、"ぼん"と呼んでいた))を
京都駅まで送ってもらいました。6:21発の"はるか"で関空まで行くのですが、この時間は、草津発のため
京都での停車時間は1分。おまけにホームの表示がいいかげんで苦労しました。
 関空のGUAMの搭乗ゲートでJA3UB/三好さんと偶然に会いました。同じ飛行機で行くようですが、
向こうは仕事です。GUAMでのアイボールを約束しました。
 GUAMでは、乗り換えの都合で一晩トランジット。空港は数年前にKC6に行った時より綺麗になっています。
ホテルまでの送迎バスはないと事前に聞いていたので、タクシーに乗ったのですがなんか遠回りされ、少し
"ぼったくられた"ようです。ホテルに着いてロビーで聞くと無料送迎バスがあったとのこと。ちなみに、フロントの
横にプリクラがありました。(もちろん英語バージョン)
 ここらあたりから、通称・外交官のJA3AJの出番です!!。チェックインすると、部屋は3階とのこと。ちょっと
はなれた建物。エレベータはなし。荷物をもって上がるのが大変でした!!!
 フロントで誰かに声をかけらましたが、事前にJA3ARTがQSOしてアイボールの約束をしていたKH2JU/danny
でした。部屋で少し話をしましたが、この人フィリピンからきてスーパーの設備の保全をやっているようです。
結構、無線のアクティブな様子。
146.91MHzにマリアナアマチュア無線クラブのレピータがあるそうです。夜に、JA3ARTが実弾射撃の約束をして
帰っていきました。(二人とも、ライフルの趣味でも気があったみたい)
 前のホテルの従業員寮(?)の建物の上にエレメントのゆがんだ4エレトライバンダを見つけました。もともとそれを
目当てにこのホテルの予約したんですが、どうやって借りればいいのかわかりませんでした。どうも、
このホテルの前の支配人が残したもののようです。また、浜松のグループが置いていったという噂の1292.00MHz/AH2S/Rのアクセスを試みましたが出来ませんでした。
 ホテルのレストランで夕食を済ませ、散歩していると、庭も広く、"木"があります。虫がわいてきて、"やっぱり無線
したいなぁ"と、中庭に7MHzのDPをあげることにしました。(部屋が3階でよかった)結果的に、KH2/N3JJが
7MHzのCWで2局、KH2/KF8TWが7MHzのCWで15局・21MHzのSSB 1局、KH2/JA3YAQが7MHzのCWで
8局のQSOができました。
 途中で、JA3ARTはKH2JUと実弾射撃に行っていました。入れ替わりにJA3UBさんの訪問がありました。
私はずっと無線していたので、会話の内容はわかりませんでしたが、JA3AJやJH3QNHとJARLについての
難しい議論をされていたようです。
 KH2JUとJA3ARTが帰ってきたので、KH2JUの無線車(トラック)を見せてもらいました。荷台に大きいアンテナが
あったり、HFのリグを積んでいたり、この人結構マニアックです。
 次の日の朝の出発も早いので夜中にアンテナを撤収。明日から、いよいよ、V7です。

【8/6(水)】
 朝(夜中)、大雨が降っていたのを覚えています。早朝にGUAMのホテルをチェックアウト。フロントでTVを見ていると
飛行機が墜落しているようです。なんと、GUAMではないですか!!。とりあえず、空港までホテルの送迎用の
ワゴン車で行くことにしました。空港内の事故ではなかったので、空港は閉鎖になっておらず、予定どおり
飛ぶようなのでひと安心。しかし、さすがにKALのチェックインカウンタは誰もいませんでした。
 コンチネンタルのチェックインカウンタにならんでいると、係りのおばさんが荷物の多さに質問して来ました。"マジュロで
なにかあるのか?"、"いや、無線の趣味だ"、"そういえば、サッポロからきた無線のヤツも同じような荷物を
持っていた。"
 結局、KH2は50分遅れで出発しました。飛行機の中は、小学生の団体がいっぱいいます。よく見ると、キリバス、
マーシャル、ツバル、ミクロネシアなどの各国の子供のようです。(何カントリーいたか不明)子供のTシャツのプリントを見て
みると、"The Asian-Pacific Children's Convention in FUKUOKA"と書いてます。どうも、2週間程、日本に
行っていたらしいです。
 さて、飛行機はトラック、ポナペ、コスラエ、クワジェリン、等と1時間程とんで、1時間程とまる各駅停車ですので、
到着まで8時間程かかってしまいます。
 夜になって、やっとマジュロにつきました。入国の手続きをしているとなりに、青年海外協力隊の日本人の
人がいます。話をしていると、夏休みでミクロネシアに旅行に行っていた滋賀の人で、無線の免許もあり
現在申請の準備中とのこと。我々の泊まるホテルに来ると言っておられたので、その日はそこまででした。
と、言っている間に、機内預けの荷物を引き取ろうとしましたが、JH3QNHのスーツケースだけが足りません。
係りにクレームを言うと、"GUAMで積み忘れている。金曜日(2日後)にまた飛行機が着くからその頃に取りに
来い"と言われました。とりあえず、紛失の書類を書いてもらい退散することに…。空港にはホテルから
ワゴン車とトラックが迎えにきてくれていました。
 以前行かれた方の情報で2Fの端の部屋の希望をFAXでしておいたので、ホテルの部屋は予約どおりの
部屋でしたが、なんとスイートルームでした。部屋が広いのはいいのですが、JA3AJとダブルベッドで最後の
日まで寝ることになりました。(もうひとつの部屋についてもスイートルームでJH3QNH親子も同様でした。)
日本との定時連絡もあるので、とにかく、夜中に7MHzのDPアンテナを設置します。また、水や食料の
買い出しにも出かけました。
 かなり、苦しいコンディションでしたが、日本と定時連絡も終わりました。JF3LGC、JA3KWZさんに日本側を
仕切ってもらえる様にお願いしていました。
 JH3QNHのスーツケースには、着替えはもちろんのこと、トライバンダの金具、電源1ヶがはいっていたようです。
そのため、電波は1波しか出せない状況でした。なんとか、日本との定時連絡もでき、2時間ごとにオペレータ
交代で朝まで運用のスケジュールを決めました。初日だけあって、みんな元気で真面目に夜中に起き出して
無線をしてくれていました。(そんなに成果はありませんでしたが・・)
 ちなみに、テーブルの前には、リアルタイムのQSO数集計グラフがはりだされ、過酷な運用(?)が始まったのでした。
  この日のQSO数;      138局
V73AR=50、V73MM=7、V73NH=11、V73TX=66、V73YAQ=4

 
【8/7(木)】
 朝一番に、免許を発行しているテレコムに行く事にしました。ダウンタウンまで、車で15分ほど。ホテルの運転手に
頼めばタクシー代わりにどこへでも行ってくれます。
 しかし、テレコムの担当者のトニーは不在。午後に戻るという事で、午後にもう一度行ったが不在。(やっぱり、
南の島特有のアバウトな時間管理です。)
 次に、今回、免許の手続きでお世話になった方を訪問。挨拶をして、土産を渡して、写真をとって、QSLを
渡して、といつものパターン。ダウンタウンに出たついでに日本に出す絵はがきを大量購入しました。このハガキ、
我々が帰ってから着いたみたいです。
 ホテルに戻り、3.5MHzのDPをあげることにしました。終了直後に雨が降り出し、この日のアンテナ工事はここまで。
予定の日本との定時連絡は、コンディションの都合で14MHzで行いました。
 昨日、空港で会った協力隊の佐々木さんが訪問してくれました。
 部屋のクーラが200Vで動いているのを見つけたJH3QNH。幸いブレーカーが近くにあります。これをリニアアンプの
電源にしようと、コンセントの工事をはじめます。送信すると、クーラのファンの回転数が下がり、うなっていますが
気にせず使うことにしました。
 昨日の2時間シフトは疲れるので、この日から1時間シフトに変更しました。(17時ころから2時ころまで)みなさん、
運用パターンは読めたでしょうか?
  この日までの累計QSO数;  613局
V73AR=106、V73MM=51、V73NH=142、V73TX=274、V73YAQ=40


【8/8(金)】
雨天の合間を見て、ワークバンド(ロータリーDP)のアンテナの設営。マストの先端にアンテナを付け、ヤシの木に
くくりつけておく状態でした。昼間は暇なので買い物と絵ハガキの投函。再び、テレコムに立ち寄ったがトニーは
いなかった。どうも、月曜まで来ないとのこと。
 午後10時ころ、GUAMからの飛行機が着くころなので、JH3QNH,JA3AJが空港まで行きました。何と、
JH3QNHのスーツケースが戻ってきました。その結果、トライバンダもあげることができ、2波同時運用も可能と
なりました。4人で1時間シフト2波というと結構忙しいです。要するに、4時間の内、2時間の仕事が回ってきます。
その休憩時間に、食事したり、シャワー浴びたり、洗濯したり…。あっと言う間に順番が回ってきます。
 メインリグ(FT900+FL7000)は7/14/21/28MHz、サブリグ(TS440S)はワークバンドを基本に運用することに
なりました。
 ところで、JA3ARTの必要な時にすぐ寝て、必要な時にすぐ起きることの出来る"芸"はなかなかのもの。
さすがDXerと関心しました。日本でもJA3YAQのコンテストの時にはその特技を生かしてほしいと思ってます。
この頃になるとコンディションのパターンが読めるようになり、結構、効率良く電波をだせるようになってきました。
 JA3ARTがRTTYの準備をはじめましたが、うまく動作しません。(日本ではちゃんと動いていたのに・・)
  この日までの累計QSO数; 1224局
V73AR=299、V73MM=81、V73NH=244、V73TX=530、V73YAQ=70

 
【8/9(土)】
 朝、日本軍の戦争のあとの記念碑を見に行きました。(観光地らしいところはここだけらしい)大砲の
基礎や石碑があるだけですが…。
 途中で、日本大使館を発見し、記念撮影。といってもアパートの1室みたいな感じですので、表札が
なければ何かわかりませんが…。
 昼ごろからコンディションが開けはじめるのがわかってきたので、12時からシフトを組むことにしました。JAとの
定時連絡時間もコンディションにあわせて早い目の時間に変更しました。
 21MHzで運用中、2つ程隣の部屋から、TVIのクレームの電話がきました。そこで、JA3AJ,JA3ARTが
調査に向かいました。調査の結果、リニアを入れるとだめ、3.5,10MHzがダメと言うことがわかりました。
この国のテレビはCNNだけでなく、NHK-BSも見られるようです。しかし、テレビの電界強度が弱く元々映りも
悪いのでTVIが出やすい状況のようです。こちらの部屋のテレビの方が新しそうでしたので、交換してもらい、
ビール6本の謹呈で和解が成立しました。しばらくベアフットで、部屋のTVを見ながらパワーを調整して運用する
ことにしました。
 さらに、基本波でのTVIの様なので、対策として、アンテナを出来るだけ建物からはなす事を考えました。
建物にくくりつけてあったトライバンドのDPと7MHzのDPを遠くに動かしたので1.9MHzのDP用の同軸が
足らなくなりました。この時点でこのバンドでの運用をあきらめることにしました。
 RTTYですが、日本からJF3LGCさんのリモコンでソフトのパラメータを修正完了。FT900とのインタフェースが
不調のため、TS-440でベアフットによる運用ということになりました。ただ、連続送信は不安なので、放熱板を
さわりながら、濡れタオルで冷やしながらの運用です。この数日はJA3ARTの担当時間はRTTY優先で
オペレートされていたようでした。
 ある日の定時連絡のときの話。
JF3LGCが都合悪くいませんでした。"JA3YAQ各局聞いていませんか?"と言っても、応答なし。今度は、
"京都各局聞いてませんか?"これでも、応答なし。"KWZさん聞いてませんか?"、"はい、聞いてます"、
"なんで応答してくれへんの?"、"私、滋賀ですから・・"。以後、"京都、滋賀関係各局きいてませんか?"
と言うようにしました。
  この日までの累計QSO数; 1886局
V73AR=462、V73MM=154、V73NH=436、V73TX=736、V73YAQ=178

【8/10(日)】
 また、雨。風も強い。どこにも行けない。雨ふってコンディション悪かったら昼間は何もすることがない。
JH3QNHとこの"ぼん"は、部屋でゲームボーイで遊んでいます。(日本にいるのと同じやがな!!)
 今度はフロントよりTVIのクレーム。またまた、外交官のJA3AJが交渉に行きます。(小川さんには、ほんまに、
旅行中はややこしい話を引き受けてもらいました。)部屋のTVをみながらパワーを調整。なんやかんや言っても、
やっぱり土日は"お客さん"はたくさんいます。結構、パイルを楽しめました。
 ホテルにTVIもだしたし、お詫びのつもりでちょくちょくレストランで食事をすることにしました。ここだけでなく、
街のどこのレストランのメニューにもラーメンがあります。KC6(T88)でも同様でしたが、予想通り、麺はインスタントラーメン
です。焼きそばも食べましたがこちらも予想通りインスタントラーメンの麺でした。ちなみに、消費税は4%みたいです。NHKの大河ドラマを見ながらビール飲んで無線している状況は日本と同じです。
  この日までの累計QSO数; 2648局
V73AR=666、V73MM=186、V73NH=601、V73TX=992、V73YAQ=203


【8/11(月)】
 今日も雨。テレコムに再度訪問を試みました。今度はtonnyがいました。やっぱり、免許の発給はできない。
話をしてみるとプリンタだけでなく発給システム自身が故障しているようです。一応、発給ができるようになったら、
日本に送ってといっときましたが…。(どうでしょう??)
 再度、佐々木さんの訪問もありました。
 ほぼ、みんなでオペレートのローテーションを回すだけなんで、この日の特記事項はほとんどなし。
  この日までの累計QSO数; 3296局
(V73AR=830、V73MM=241、V73NH=762、V73TX=1222、V73YAQ=241)


【8/12(火)】
 久々に晴れです。朝、YAQの旗を記念撮影後、JA3AJ、JA3ART、JH3TXRは、風景写真を撮るのも兼ねて、
ダウンタウンまで歩いてみることにしました。途中、"マーシャル-日本橋"(中曽根康弘書の看板つき)、大統領官邸、
中国大使館、高級リゾートホテルなど今まで車で素通りしていたのをゆっくり見て歩きました。
 日照りの中、約2時間くらい歩きましたが、疲れてしまい、さすがに帰りは、クーラつきの乗り合いタクシーで
帰ってきました。
 JH3QNH親子は近くで泳いだり、釣をしていたようです。(でも、釣れなかったので持っていった"刺身醤油"と
"わさび"は役に立ちませんでした)
 午後、佐々木さんの訪問がありました。V73の国の状況を聞く事ができました。その内容をまとめると以下の
通りです。
(JA3ARTのメモより)
  a)中心地は「ウリガ」と言う島(地区)。ここに警察、裁判所、消防、病院、郵便局、大きなスーパーマーケット等
    がある。
  b)最低賃金は1.5ドル/1時間。2週間ごとの給料支払いで大半の人は100〜110ドル(2週間で)、特殊な
    職業の人は  700〜1000ドル。
  c)1985年にアメリカ合衆国から独立。現在、かなりの金額の核実験(ビキニ環礁の)保障金が、アメリカから
    支払われている。したがって、労働意欲の低下を招いている。
  d)マジュロの人口は約28,000人。
    Marshall共和国全体で約50,000人。常駐している日本人は判っている範囲では28人。JOCV(海外青年
    協力隊)で12人(教師ー10、看護婦ー1、図書館ー1)、MJCCという商社員が6人、漁船関連が2人、
    大使館員が3人、現地人と結婚して永住が5人。これ以外にも現地生活者がいるかもしれない。
  e) 人口28,000人の内、16才未満人口が60%を占めている。これは、典型的な「出稼ぎ国」の人口比率。
  f)教育。決まった教科書がないので、現在、作成中。授業中の使用言語は英語。高等教育機関として、一応、
   カレッジが2校ある。夏休みなど、  長期休暇後の登校率が極端に低下  するので、街のあちこちに
   「Back to School」のステッカーが貼られている。(確かにあった!!)
  g)警察官の数は100名(現地の警察官に直接たずねた)犯罪は大半が「よっぱらい」による喧嘩や傷害事件。
    (確かに、昼間から酒を飲んで木陰でゴロゴロしている人が多い様でした)
  h)消防車は、全島で2台、内1台は飛行場に常駐。

 この日、コンディションはちょっと良い。試しに庭のアンテナの向きを少し変えるとTVIが止まったみたいです。
21MHzのSSBでJA0DAIさん(いつも、我々のペディの"追っかけ"をしてもらってます。JH0XUPの実家の近所)とQSOしたついでに、JH0XUPを呼び出してもらうようにお願いしました。その結果、JH0XUP/松川さんとQSO
できました。
 また定時連絡で、XYLのJH3BVHが呼んできたのがわかったのですが、その後、送信してきません。
すぐにシャックに国際電話しました。"今や!"とか、"とにかく59を送って!!"などど電話で指示をしながらの
QSOでした。(QRMで送信のタイミングがわからなかったようです)
  この日までの累計QSO数; 3958局
V73AR=1103、V73MM=263、V73NH=876、V73TX=1381、V73YAQ=335


【8/13(水)】
 最終日、JH3QNH,JA3AJは"釣り"に出かけました。この頃になると、V73TXでやっても、あまり呼ばれません。V73YAQを使ってパイルを楽しことにします。
 JH3QNHも"1000局を越えると、もう1ロットQSLつくらなあかん!!"と局数をコントロールしてV73YAQで出て
います。
 全体にパイルも少なくなってきたので、こちらから呼んだり、知っている人を捕まえては、"あと、誰やってへん?"
と押し売りをする始末。兵庫県支部の局なんか、"ログソフトの1画面全部V73や!!"と叫んでいます。
 最後の定時連絡を終え、19:00ころから、雨の中、アンテナの撤収始めました。
7MHzのダイポールとリグFT900を残し、荷造りを開始。一応、予定どおり、オペレートを回しています。夜中に
オペレートの予定が終わり、だれもやらなくなったので、私が04:00までQRV(7MHz−CW)していました。この時、
最後の最後にできた、当クラブのJA3RZWが印象的です。
この日までの累計QSO数; 4727局
V73AR=1284、V73MM=330、V73NH=954、V73TX=1532、V73YAQ=627


【8/14(木)】
 朝、最後のアンテナを撤収し、荷造り完了。佐々木さんの訪問もあり、7MHzのダイポールや残ったみそ汁などを
わたしました。
 ホテルのバスで、空港に移動。佐々木さんは空港まで見送りにきていただきました。空港で時間はあるのですが、
する事がない。ちいさな売店ぐらいしかないんで、ホテルから持ってきていたビールを飲んだり、写真取ったしで
時間をつぶしまた。JA3AJは途中のポナペで停車中(?)に空港の売店までコショウを買いに行きます。
 夜になって、やっと、グアムに戻ってきました。KALが落ちたとこなんで、雨の中の着陸は心配でした。
 空港では、行きの教訓を生かし、ホテルに電話して無料の送迎バスを呼ぼうと思いましたが、公衆電話の
かけ方がわかりません。レンタカーの受付カウンタで電話をしてもらいました。電話がつながったら今度は話が
上手く通じないので、レンタカーの受付の人に話をつけてもらいました。
 やっと、ホテルの迎えの車でホテルに着きました。ホテルの売店で買い物をしたくらいで寝ました。

【8/15(金)】
 グアムから日本への飛行機は午後なので、昼過ぎまで、散歩、買い物。昼食はホテルの日本料理店で
"うどん"や"丼"を食べてました。ここは日本人ばっかりですね。
 ホテルから空港までの送迎を頼みに行くと、いつものホテルのフロントのお兄さんが運転してくれます。実はこの人、KH2QQというハムでした。車内でQSLや名刺が飛び交っていたのは言うまでもありません。そういえば、行きに
寄った時にフロントでKH2JUと親しそうに話をしていたみたいで、どうも"クラブの友達"みたいです。詳しくきいて
みると、ホテルにあったアンテナも今はレストランのオーナーが管理しているそうです。今度、みんなで行く時は使える
ように交渉しましょう。
 空港に着いて時間がありますから、また買い物です。日本人がいっぱいいます。空港の売店でJH3QNHとこの"ぼん"の外国での(英語での)初めてのお買い物に挑戦。ちゃんと、エサにありつけたようです。
 午後からの飛行機で帰国。(税関でちょと喧嘩をしましたが・・)関空のをコンチネンタルの受付でJH3QNHの
荷物紛失事件のクレームを言っておきます。
 関空よりはるかで、京都まで。またまた草津行きのため、わずかな停車時間で荷物をおろさなあきません。
京都駅まで迎えに来ていてくれていたJA3OINとJI3DLIがホームまで来てくれて助かりました。

【事後処理】
 ログをOINに渡し、データの入力からリストの出力をしてもらいました。
 JH3QNHの荷物紛失事件の補償金がでたそうです。(何でも、ゆうてみるもんやな)
 QSLの写真を決め、オノウエに印刷を頼みます。(お得意さんです)レポート面のデザインはもちろん JF3PLF先生の
作品です。10月の初めに完成しQSLの発行がはじまりました。

【まとめ】
 V73YAQの運用ができたことで、50周年を充分にアピールできたとが一番の成果であったと思います。
 今までになく平均年齢の高いDXバケーションでしたが、数々の問題をクリアして終了することが出来ました。
事前準備などで我々と一緒に協力していただいたクラブ内外の方の協力があったからこそこ感謝しております。

 さて、次はどこにいくの???

>
BAND    1.9  3.5  3.8    7   10    14   18   21   24   28  total
---------------------------------------------------------------
V73AR     0    0    0  382   127  299  115  288   65    8    1284
V73NH     0    1    0  484     4  210   22  233    0     0    954
V73MM     0    1    0  157     0   33   18  102   19     0    330
V73TX     0    0    0  630   106  339  148  272   37    0    1532
V73YAQ    0    0    0  311     8  112   18  153   25    0     627
---------------------------------------------------------------
                                                           4727
補足説明
(1)RTTYはV73ARによる107局を含む(14MHz=72、18MHz=2、21MHz=33)
(2)3.5、28はCWのみ。
(3)バンドごとの合計のSSBの比率は、7MHzで10%以下、14MHzで20%強、
    18MHzで15%程度、21MHzで75%程度、24MHzで50程度
(4)KH2での運用結果は次のとおり
 KH2/N3JJ   7MHzCW    2局
 KH2/KF8TW  7MHzCW  15局
              21MHzSSB 1局
 KH2/JA3YAQ  7MHzCW   8局


(この記事は1997年10月から12月京都クラブ会報No.328-330に掲載されたものです。)


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  Last Update    May 12,1998